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タイムアウトニューヨークが、ニューヨーク周辺の簡単に行くことができない地下空間の歴史や噂、ミステリーを紹介。

マッカレン・パークのプール・トンネル|McCarren Park Pool Tunnels

グリーンポイントのマッカレン・パークにあるプールは、今では改装されているが、その歴史は、大恐慌時代までさかのぼる。このプールは、ルーズベルト大統領政権下の公共事業促進局によって進められた、11の大型プールを設置するプロジェクトで作られたプールのひとつだった。

公園の下には、廃墟好きならだれでも興奮する、いくつかの地下トンネルや排水管がある。この地下を探検しようとする人もいるようだが、ここに入ることは、完全に合法というわけではない。このページで掲載しているほかの場所にも同じことが言える。

Photograph: Courtesy CC/Flickr/Timothy Vogel

聖パトリック大聖堂の地下聖堂|The crypts beneath St. Patrick’s Cathedral

聖パトリック大聖堂は、明らかにマンハッタンで最も歴史ある教会だ。1879年に建てられたこの教会には、いくつかの興味深い秘密があると言われている。とりわけ重要なのが、床の下深くに隠されているという地下聖堂だ。マンハッタン島で、未だに、地下聖堂に遺体を保管している最後の場所のひとつでもある。

2015年には、枢機卿エドワード・イーガンが埋葬された。地下聖堂への行き方は、教会が行っている通常のガイドツアーでは教えてもらえない。大司教区に案内してもらうしか、地下聖堂の場所を知る方法はなさそうだ。

ザ・フリーダム・トンネル|The Freedom Tunnels

リバーサイド・パークの下にあるザ・フリーダム・トンネルは、長い間、ニューヨークの都市探検好きの間で、いつも噂になるスポットだった。このトンネルは、1980年まで運行されていた貨物列車が通っていた。その定期運行が終了したあとは、グラフィティーアーティストやホームレスの人々にとっての天国になっていた。トンネルの名前は、ここで驚くべき作品を制作した著名なグラフィティーアーティストであるクリス・フリーダム・パペに由来するという噂もある。

ジェニファー・トスが1995年に出版した本「モール・ピープル」で、スラム街化していたトンネルの悲惨な様子を伝えている。1991年、アムトラックがトンネルの利用を開始しため、トンネルに居た人々は一斉に退去させられた。ザ・フリーダム・トンネルはまだ多くの都市探検好きを魅了しているが、数十年前に存在した、都市の下の都市は、もうその姿をとどめていない。

12番街の牛トンネル|The 12th Avenue cow tunnels

19世紀、マンハッタン35丁目の西の端は、屠殺場が集まっているエリアだった。牛はニュージャージー州から船で運ばれ、屠殺されるために当時の12番街(現在はウエスト・サイド・ハイウェイ)に集められていた。しかし、マンハッタンの人口が増え、車の交通量が増えると、牛は激しい交通渋滞を引き起こす原因になっていた。その解決策として、道路の交通を中断することなく、牛を移動させる専用の地下トンネルができた。

この話は、すばらしいことに思えるが、実は、トンネルの歴史ははっきりしていない。99パーセント・インヴィジブルというポッドキャストに、トンネルの歴史を深く掘り下げた番組があるが、これは聴く価値がある。牛トンネルをめぐる言い伝えは、矛盾している。1870年代に描かれたという牛トンネルの絵が見つかったと思えば、ニューヨーク市の考古学担当ディレクターは、ギズモード記者に、牛トンネルの存在の証拠はないと語っている。

しかし、多くのリサーチの結果、1932年に作られた「牛の道」の正式な設計図が見つかり、12番街の下に長さ200フィート(約61メートル)の通路が存在することが確認された。この設計図は、牛トンネルが最初に建設されたと噂されている時期から60年後のものだが、少なくとも1つは存在していたことが確認されている。トンネルは20世紀に入ってからの工事の影響で破壊された可能性があるが、まだトンネルがあると主張している人もいる。

ニューヨークの牛トンネルの物語は、この街の地下の歴史を最もよく知っている人々でさえも、足元に何があったのか、いや、何があるのかということを、知り得てないということを表している。

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